コート―ルドがやって来る、ヤァヤァヤァ!
お久しぶり大根。
あれこれ忙しく過ごしていたら、1年半なんてあっという間でした。
なんだかんだネットで検索していたら、引っかかってくれました、
コートールド美術館展
魅惑の印象派
Masterpieces of Impressionism:
The Courtauld Collection
https://courtauld.jp/index.html
それがこのたびまた日本で開催されるということで、地味に静かに喜んでいます。
私、特別美術とか絵画に造詣が深いわけではないのですが、なぜかこの美術館が所蔵しているマネのフォリー・ベルジュールのバー、という絵が若いころからとにかく好きでありまして…
でもほとんど海外での公開はされていないということで、本物は見ることはないだろうなと思っていたのですが、
ご縁だったのでしょうかねぇ、私が2度目に大阪に住み始めてまだ数年のころ、1998年にあったんですよ。コート―ルド美術館展が日本で。
勿論目玉のひとつはこの絵でした。
まさか日本で見ることができるなんて、と小躍りして出かけたのが昨日のことのようです。
その時の記念の図録。
忘れてましたが、ちゃんと絵葉書も買ってるし、入場券もあるし、その時の買い物のレシートまではさんであった!
なんて健気だったんだ、私…*:.。☆..。.(´∀`人)
んでもって、買いましたよ、複製も。
もう色褪せてしまったので今は飾っていませんが、この時とばかり久しぶりに引っ張り出してむりやり壁にかけてみました。だからバランスがおかしいのはご愛敬。
実物はこんなもんじゃなく、想像してたよりはるかに大きな絵でした。
でも、ほんとに素敵な素晴らしい作品で、長いこと絵の前にたたずんでしまってました。
その「フォリー・ベルジュールのバー」がまた日本に来るなんて。
しかも、私の買った複製が色褪せてどうしようもなくなったこの時に。
なんてすてきな偶然なんでしょう!
こんどはどんなチケットかしら?楽しみです。
今悩んでるのは、東京に行くか、それとも来年の神戸まで待つか、です。
ちょっと決めかねて、うねすねそわそわどきどきしている今日この頃の私です。
VIVA! 若草山
奈良は好きだけど、若草山の山焼きは見たことなかった私です…
と、カミングアウトしたりして。
先日、ようやく山焼きデビューしてきました(´∀`○)♫
いえ、実はそのために奈良に行ったのではなく、とある講演会を聞きに行くのが目的でした。
それがちょうど山焼きの日だったんです。
そんなこと知りもせず行ったわけですが、奈良に到着すると否が応でもその日の山焼き情報が目に飛び込んできました。
んでもって、その講演会が終わった後もほんとは「松林苑しょうりんえん」を探検しようと画策していたんです。
「松林苑」というのはかつて平城宮跡の北側に存在していた奈良時代の広大な庭園なんです。
具体的にいうと、たとえば水上池はズバリ!松林苑の池なんです。
こちら水上池。
松林苑はほとんど話題になることもなく、これといった保存施設もないようで、過日一度チャレンジした時は準備不足で撃沈してしまいました。
今回は少しは前回より準備していったのですが、なんせ山焼きがあってすごい人出…バスに乗ったのが運のつきで、なんと渋滞にひっかってしまって大極殿近辺に到着するのに1時間近くかかってしまい。
日は暮れそうになるし、歩き始めたら10分や20分ですむ距離じゃないのであきらめたわけです。
それで(よし、それなら大極殿あたりから山焼きを見よう)と思った次第です。
初めて見た山焼きの感想は。。。
ひたすら寒かった。。。
というわけで、三脚もなく、フリーハンドで撮った写真です。
ほとんど失敗でしたが、かろうじて残った数枚をご覧くださいね。
寒波のせいでひたすら寒く、これらの写真を撮ったらすべてが終わらぬうちに帰路についた薄情な私なのでした。チャンチャン♪
難波大道を歩く
あけましておめでとうございます。
って、遅すぎますけど。
あわただしかった年末年始も過ぎ、あっという間に一月も下旬に突入しました。
まあとにかく月日の過ぎるのが早いこと早いこと、、、これからまるで坂道を転がり落ちる雪だるまのごとく時間が過ぎていくんだろうなぁ…
昨年秋には、高校時代にとても親しかった友人がガンで他界し、少なからずショックを受けてしまったりもしました。
世間は虚仮、人って生まれてくる時も死ぬ時もひとり、そしてその人生なんてまことにうたかたのごとく 広大な宇宙の歴史の中のほんの一瞬の輝きなんだなとちょっとしんみりもしてしまいました。
しかし、生きてる自分はそんな感傷に浸ってばかりいても仕方ないですね。
日々感謝して楽しくすごしていかねばね。
ということで、先日ちょっとした用事があって阿倍野界隈に行きまして。
いつか実行したいと思っておりました『「難波大道」を歩く』をついに実行してまいりました!
難波大道というのは、古代難波宮から奈良方面に伸びていた長い道です。
日本書記には613年(推古天皇21年になります)に「難波から京に至るまでに大道を置く」という記述があります。
その道の、天王寺から難波宮までを歩いてみようと思い立った次第です。
行ったのは1月20日、おとといです。
今日22日はすさまじく寒いですけど一昨日はお天気も良く、これは大道日和だと勝手に納得して歩きました。
では天王寺駅あたりから出発!
まずは天王寺駅の東あたりを過ぎたところから出発です。
この通りがそれらしいなと歩きます。
これが難波大道です、なんて標識はまったくなくて、なんとなくこんな感じかな、と手探りの状態です。私が気づかなかっただけかもしれませんが。
この道それらしいよね?とか独り言なんかつぶやいて歩きます。
早速寄り道、竹本義太夫のお墓のあるお寺発見。超願寺です。
入ってみたらなんかすごく新しいお墓で(建て替えたんでしょうか)ちょっと驚きました。
といっても、人形浄瑠璃なんてまったく門外漢なので手を合わせるだけで終わりました。
もとの道に戻り、ほんとにこの道でいいのかな~と考えながらふと顔をあげると「大道」の地名発見!これはうれしかった。
やはりこのあたりが難波大道の名残なんだなと。
ちょっと気を強く持ちながらまっすぐ歩くと第一ランドマークが見えてきました。そう、四天王寺です。
おおお~~~!と近づきましたが、中には入らず。
そのままお寺を左に見て東の塀沿いに歩きます。
なんか古の雰囲気が残ってるなと感じながら歩きます。
来た道を振り返ると、結構道幅が広い。
まさに「大道」の名残なのかも。
そのまま進んで東大門の前に出ました。
この門は私外から見たことなかったです。
まぁ、ここらへんに住んでないし、四天王寺に入るなら極楽門から入ってたような気がするし。んだもんでこの位置に立つってことがまずないわけです。
んでもって、四天王寺も華麗にスルーしてさらに歩くと勝山通りに出て、道の向こうに五条宮が見えてきます。
通りを渡って西に行くと上町筋に出てしまうので東の道に入ります。
真法院町の五条公園の角、このあたり(グーグルマップによると)難波大道跡らしい。
なにか書いてあるかなと見ましたが、町?の掲示板があるだけでなーんの説明もありません。
いずれにしてもここら辺が大道の名残のようだから、そのままずんずん歩きます。
道の真ん中が中州みたいな感じで区画してあります。
乗り捨てられたような自転車がそこはかとない哀愁を醸し出してます。
勿論なーんも書いてありません、グーグルマップ、おそるべし。
もしかしたら私の地図が古いから書いてないだけかもしれないですね。最新の地図なら明記してあるのかも。
地図、買い替えようかな。
そして、さらに進んでちょっと狭くなった昭和な通りを歩きます。
かつてはここもにぎやかな商店街だったんでしょうね。
そのままとことこ歩くと十字路に出まして、もう何の面影もないのかなとふと上の標識を見ますと「細工谷」の文字が!
そう、難波大道は細工谷も通過するんです。
というわけで細工谷遺跡のモニュメント地蔵がバルナバ病院の前にあります。
なぜかおじいちゃんが犬とずっとそこにいたので正面から写真撮れませんでした。
向こう側におじいちゃんと犬がいたんです。
んで、これがそのお地蔵さんの前の道、清風学園や石が辻公園の前の道ですが、名前がわかりません。
見ると東に向けてドーンと下がってます、
まさに谷ですね。
気分はブラタモリ。
さらにまっすぐ北に進むと近鉄上本町の駅が見えてきます。
脱線ですが、歩いていたらとても素敵なお花屋さんがありました。
切り花、鉢植え共にいいのがいっぱいあって、機会があればまた来ようと思いました。
上本町駅を過ぎ、千日前通りを渡り、東高津公園の横を通ってそのまま北上すればいいのですが、ちょっと寄り道して真田丸の碑です。
一時とても話題になりました。
んでまあ、寄り道から清水谷の本来の大道であろう道に戻り、ここらへんが南三条朱雀大路跡あたりです。
(寄り道から大道に戻る時、道の先に難波宮も見え始めました。正面に見える大きな木があるところが難波宮↓)
意識してないとなーんもない、普通の通りです。
全部そうなんですけどね。
さらに道を北上するとなんということでしょう、大阪市立聴覚支援学校に突き当たります。朱雀門跡はこの学校の中らしい。
ということで、まっすぐ北上はできないので迂回して広小路公園の前に。
さあ、この公園を背にして立つと目の前が難波宮公園です!
うわー、着いた、難波宮公園!!なんか感動しました。
出発がおよそ3時で、着いたのが5時半でした。
すっかり誰そ彼どきになっちゃった。
大極殿の向こうの大阪城天守閣もライトアップしています。
少し左(西)に目を転ずると大阪歴史博物館とNHK大阪も。
うーーーー、私、じつはこの公園ほんとに好きなんです。
見上げれば、細い細い三日月が「到着おめでとう!」とささやいてくれた気がしました。
今回難波大道を歩いてみて私が感じたのは
「思ったより難波宮と天王寺って近いんだな」ということです。
2時間以上かかったくせに、と思われるかもしれませんが、それは手探り状態、かつ寄り道しながら歩いたからです。
ちゃんとルートを把握して寄り道せずに速足で歩けば、現代人なら1時間かからないだろうし、道や履物等の条件が悪い古代にしても、だいたい1時間前後で到着するんじゃないかなと感じました。
ふと思い立って歩いた道ですが、とくに四天王寺周辺にはその雰囲気も残っており、とても良い体験になりました。
またいつか歩いてみよう!
ごちゃごちゃと駄文にお付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。
VIVA、難波大道!(´∀`○)♫
VIVA! イリヤ・クーリック! Ilia Kulik!
皆さんイリヤ・クーリックって覚えていらっしゃいませんか?
長野の冬季オリンピックで金メダルに輝いたフィギュアスケーターです。
ちょっと録画してたフィギュアスケートの番組見てたら、そこから芋づる式に彼を思い出しました。
なんで彼を知ったかと言えば、長野オリンピックのフィギュアスケートを見てた当時中学生の娘1が彼の大ファンになったからなんです。
私もフィギュアスケートは好きでしたが、ずっと女子ばかり見てまして…
その点、中学生だった彼女はなんとなく異性のほうを見てたんですね。わかるわかる(´∀`○)♫
そんなわけで、ある日冬の朝「うわー!!!かっこいい人見つけた~~~」みたいな感じで大はしゃぎしてたような気がします。もうはっきり思い出せませんが予選だったのでしょうたぶん。
それからは男子フィギュア一色となった我が家、SPもフリーも家族一丸となってテレビにくぎ付けになりました。
イリヤの方も期待を裏切ることなく金メダル獲得となりました。
最近では羽生君の素晴らしい演技でフィギュアスケートの人気も不動ですが、当時は女子はともかく男子スケートにはそれほどの注意も集まらず、今となってはほんとに懐かしく楽しい思い出です。
彼の滑りで注目したいのは、勿論難しい技を披露しているわけですが、それだけではなくジャンプの高さ、そして着地した後の遊んでる方の足の高さです。
私はフィギュアについての素人ですが、素人目に見てもこれらはほんとに素晴らしいと思います。
勿論ジャンプやステップ、それ自体の難易度が一番の問題だし評価さるわけなので、ジャンプの高さはともかく、その後の足の高さなんぞ祭典には関係ないのかもしれませんが、少なくとも私はそのきれいさにほれぼれしたものです。
オリンピックがすんでも娘は熱さめやらず、イリヤ大好き大好きでフィギュアスケートにはまり、大阪で行われたフィギュアの大きな大会にも数回連れて行くほどでした(結局イリヤを直接見ることはありませんでしたが)。
おかげで会場でしか味わえないエッジや着地の音、スケーターとファンとの距離、そして花のルールなど身をもって体験することができました。
死ぬまで自分はイリヤのファンでいる!言う彼女を「世界の違う人を思う気持ちは今だけの一時の思いだよ。本当の愛情はそういうもんじゃないよ」とたしなめたものの、「そんなことない!私は絶対変わらない!」と豪語していた娘ももう結婚して母となりました。
その後彼は結婚し、あっという間にプロスケーターに転向しました。
結局私と娘はイリヤのスケーティングを実際見ることはなく、今日に至っています。
その後の娘はと言えば、私がイリヤの話題を振ってももう今は昔。
ふーん、そんなことあったっけ?みたいなリアクションです。
良くも悪くも、それは今彼女が自分なりの幸せを見つけたからなのでしょう。
万感胸にせまりつつ、しばし昔に思いを馳せましょう。
長野オリンピック フリー
…
今般彼を思い出したことでようつべで検索しましたら、今もプロスケータとして活躍しておられるようです。しかも、昔と変わらず着地後の高い足はキープしてるし、他でも決してあのオリンピックに引けをとらない、素晴らしい演技を披露していて思わず笑みがこぼれました。
イリヤの人生にこれからも幸あれ。
悲しいニュース はしだのりひこさん
今ニュースを読んで絶句しました。
一世を風靡したはしだのりひこさんが亡くなったようです。
彼はもともと、フォーククルセダースのメンバーとして「帰ってきたヨッパライ」を大ヒットさせた人でした。
あれが大ヒットした当時私は小学生、信じてもらえないかもしれませんがどこもかしこも売り切れ続出で レコードを買うことができなかったんですよ。
今でも思い出します、どうやって手に入れたのかわかんないけど 身内があれを手に入れた!ということで連絡が来て、パイオニアのセパレートステレオで大感動しながら聞いたのが昨日のことのようです。
ちなみに、パイオニアのセパレートステレオってのはこんなので。
身内の家にあったのもうちにあったのもほとんどこれと同じか極めて近いものでした。なつかしいなぁ。
そのはしださんが亡くなった…
人間生きていれば誰しも死は訪れるわけですがやっぱり寂しいものですね。
このごろ寄る年波のせいで あの人が亡くなったこの人が亡くなった、そんな連絡も多くなりました。
御天寿を全うされるかたもいらっしゃいますが、まだまだ生きていろいろしたかったと思いながら亡くなられる方も多いのだろうな、その思いはいかばかりかととおもいを馳せる次第です。
今年に関して言えば、仲良くしていた後輩の親御さんや親せきの97歳のおばちゃんははまあ天命と思えなくもないですが、私がこちら(大阪)に来てからなにかと親しくしていたいくつか年下の音楽大好きな友人が亡くなり、後輩の親御さんが亡くなり、香港から帰国してすぐには高校時代に一番仲良くしていた同級生もガンで亡くなったと知らせが来ていまして(じつはそれがショックで何もできない日が続いていたんです)ちょうど今日はご縁があって親しくしていたお友達の旦那様も57歳で亡くなった由、ますます心さみしいです。
しかし、落ち込んでばかりもいられない。
五木寛之さんがいみじくもおっしゃるように、死は前から来ないもの。
ひたひたと見えない後ろから近づいて、ある日突然ポンと肩をたたく、そんなものなのでしょう。
明日は私かもしれない、そして、あなたかもしれない。
限られた日々を少しでも楽しく、幸せに生きていきたいとあらためて心を引き締めました。
はしださんには名曲がたくさんありますが、私は敢えてこの曲を。
ちっとも有名じゃないですが、私はこの曲が詩、曲ともにとても好きなんです。
高校大学時代はちゃらちゃら歌ってましたんですが、その折にこれを歌ったりもしてました。
ご冥福を心よりお祈りいたします、合掌。
VIVA!奈良! VIVA!正倉院展!
もう12月になろうかと言うのに今更正倉院展???なんてあきれないでくださいね。
奈良大好き、正倉院展大好きな私には 避けて通れない毎年のマストイヴェントなわけなんです。
だけど、いろいろ忙しくしていたし、風邪もひいちゃって、それも長引いてどうも調子がイマイチでもあり、延び延びになって今日にいたってしまいました。
しかーし!
気を取り直して今日は奈良の話題で行くのだーーー!えいえいおーーー!
というわけで…(どういうわけやねん、( ゚Д゚)ドルァ!!)
香港から帰国してすぐ、風邪ひいてけっして万全の体調ではない時期でしたが私には使命とも思える正倉院展に期間中2度行ってまいりました。
ずっとながいこと歴史(そう、ずっと奈良時代の歴史のお勉強を何十年も続けているんです)のお勉強をしているのでもう毎年ほんとに楽しみで、必ず2度、できれば3度行くのが私の流儀です。
そしてついでに平城宮跡資料館の同時期の特別展たる「地下の正倉院展」にも参上いたします。
こちらはその名の通り発掘された正倉院展、ということで木簡を展示しています。
大昔には紙はほんとに貴重品だったので、たいていのことは木簡と呼ばれる板状の木に墨でいろんなことを書いていて、それがいろんな偶然が重なって現代にまで残り、発掘されることがあります。
そこに書いてある内容で、当時のいろんなことがだんだんわかるわけです。
でも、これを書き出すときりがないのでこちらは置いといて。
本来の正倉院展とそれに伴う奈良の秋の景色なぞをお見せしたいと思います。
ということで、複数日の奈良の景色ですからお天気とか時間経過がおかしいところもありますが、お許しくださいましね。
とにもかくにもやってきました正倉院展!わーい。
行かれた方もいらっしゃるでしょうね。
正直言って、私はちょっと今年は地味な印象を受けましたがみなさんはどう思われましたか?
んで、正倉院展のなにがすごいのかと言うことですが、このお宝たちのすごいところはすべてが「発掘されたものではない」というところ。
つまり、土の中から掘り起こしたものではなく、どの時代も人間の管理の下で伝来してきたもの、と言う物凄さです。
正倉院の宝物はたいてい8世紀のものなんですが、8世紀のものが地中に埋もれることなくずっと人の手から手に渡って今に至る宝物って、実は世界広しといえどもこの正倉院のお宝だけなんですよ。
それだけでも私は感動して涙があふれてきます。(゜-Å) ホロリ
んで、今年のお宝の何に感動したかはもちろん人それぞれですが、私は長年歴史のお勉強(文献史学です、ずっと日本書記や続日本紀やそれらに付随する文字史料と格闘しています)のせいで、どうしても文字資料に目が向いてしまいます。
今年もいろいろ出ていて、ほんとに堪能させていただきました。
なんとなく感じたのは、今回のテーマカラーは緑だなと。
ガラスのお椀?も緑だったし、小物入れ?の箱も薄緑の地色、緑の帳も出てましたね。
テーマカラーなんてほんとうに考えておられるのかどうか知るすべもありませんが、私はなんとなくそんな気がしました。
オマケ話としましては
最勝王経の帙(ちつ)が展示してありましたでしょ。
画像は正倉院展のHPから。
これに文字が刺繍してあるの気が付かれました?
「天下諸国毎塔安置金字金光明最勝王経」「依天平十四年歳在壬午春二月十四日勅」と刺繍してあるんですが、この「天平14年2月14日」が謎なんですわ。
関係する日にちとしては、聖武天皇が出された「国分寺国分尼寺建立の詔」が思い浮かびますが、その日付は続日本紀では天平13年の3月24日、類三(類聚三大格)や政治要略では天平13年の2月14日なんです。
今の私たちが知る限りでは、天平14年2月14日にはそういった類の詔勅は出てないんですよね。
いったいなぜこんな日付が刺繍されたのか、学会の長年の謎なのであります。
どなたか、この謎ときにチャレンジしてみては如何でしょう。
そして、もし今年を見逃された方も、来年はいちど足を運んでみてくださいね。
はるか昔の天平人の美意識や息づかいをぜひ実際に感じてみてください。
…というわけで
オマケの晩秋の奈良の写真いろいろです。
あまり良いお天気には恵まれませんでしたけどそれもまた趣ということで。
まずはお約束?の東大寺近辺です。
雨に煙った東大寺境内の素晴らしい紅葉
東大寺勧学院の庭越しに見た夕陽
誰そ彼どきの興福寺の塔
仏教美術資料研究センター 素敵な建物ですよね。
時折中に入れるらしいですが、私はまだ入ったことないんです。いつか入りたいわー。
浮見堂、お天気がイマイチだったので残念でした。
ずーっと寄ってみましたyo。
すぐそばの荒池
こちらもイマイチのお天気と、ちょっと夕焼けのタイミングを逃したので残念な写真になっちゃいました。(´Д`)ハァ…
そして、ちょっと遠出した奈良の景色です。
若草山をバックにした薬師寺の遠景です。
きっと皆さん一度や二度このアングルの写真を見たことあるでしょー*1
今は東塔が修理のためにすっぽり覆われてます…
東塔見ないで薬師寺行く気がしないので、この定番スポットから遠景をば。
可能な限り近づきました。私のカメラではこれが限度。
西塔もきれいだけど、やはり二つ揃ったのが圧巻ですね。
この日もお天気悪く、ほんとに残念でした。
池のまわりの山々、まさにたたなづく青垣。
そして、快晴じゃなかったので低く垂れこめた雲…
こんな景色をみると、ああ、ほんとに神様がおわしますと思います。すばらしいなあぁ。
こちらは秋篠寺の入り口です。
遅くに行ったので、中に入れず、入り口だけですが、紅葉が素敵な入り口でした。
そしてもう一か所、おまけのオマケでぬあんと恭仁京跡にも行ってまいりました。
こちらは木津川市で、厳密にいえば奈良じゃないんですが、聖武天皇がほんの少しの間都にされていた場所です。
最初にも書きましたが私は奈良時代の歴史のお勉強もしているので、恭仁や紫香楽(しがらき、そう、たぬきで有名な信楽のことです)の地もとても親しみを持っています。
どちらも不便なところなのでそうそう行ける場所ではありませんが、今回ちょいとチャンスがあって二十数年ぶり(たぶんそれくらいたってると思う)に行ってきました。
昔と違い整備が進んで、リーフレットも作ってあったし、小さいながらも文化財整理保管センターなるものができていて、若干の展示やビデオの上映もしていました。
ということで、今秋の私の奈良はひとまず終わりです。
最後は恭仁京のコスモスでお別れします、長文お付き合いくださってありがとうございました!
*1:´∀`
VIVA! 香港!
先日下の娘と香港に行ってまいりました。
上の娘はもう結婚していて子供もいるので、好き勝手に自分一人で旅行に出ることはできませんが、下の娘はまだ独身。
かといって働いているのでこれまたいつでも好きな時に好きなだけ、と言うわけにはいきません。
でも、今回まとめて休めることになったと。
でも4日間のこと、ハワイだのヨーロッパだのとはいきません。
友人とも時期が重ならないので私と、ということになり、ふたりが納得したのが香港でした。
私も娘も3度目の香港です。
でも短い滞在なので、まあ可もなく不可もないことしかできませんでした。
お約束の香港の夜景とか飲茶とか。
飲茶は今流行のところに行ってみたかったけど、結局無難なシティホールに行ってしまいました。
こちらは外からのシンフォニーオブライツ(全然音が聞こえなかったわ)
あとは香港ディズニーランドに1日。
すみません、ドナルドLoveなのでそんな写真しか…(´∀`○)♫
オフシーズンのせいか、閑古鳥?のディズニーでどこもかしこも待ち時間ゼロ。
ちょっと心配になったりしましたが、東京よりよかったのが意外に最後の花火でした。
期待せずに見始めたけど時間も長く、花火がガンガン上がって盛り上がりました。
今から香港ディズニーを考えてるかた、最後の花火必見ですよ。
でもいい写真がなくてごめんなさい。
あと、トイ・ストーリーランドのジェットコースターみたいでほぼ垂直に動く「RCレーサー」は面白かった!
過去2回はペニンシュラに泊まったのですが、あそこはいいホテルですがとにかく高いのです。
アフタヌーン・ティーもそれとともに有名ですが、あまりに有名すぎて宿泊客じゃないたんなる観光客もわんさか押し寄せてずっと大盛況、せっかくのアフタヌーン・ティーなのにあわただしくて。
さすがに今回はパスさせていただきました。
ホテルはペニンシュラとほとんど同じ場所のインターコンチです。
でも、チェックインの手続きしてたら信じられない展開に。
お部屋は通常フロアの一番上の11階(たぶんその上はクラブとスイートフロアなのでは)、しかもセントラルの部屋にしますと。
さらに、私たちはお食事なしの予約だったのに3泊のうち2泊分の朝食をつけますと。勿論無料です。
それでいいですか?と言われたので全然オッケーです!でした。あはは。
おかげでシンフォニーオブライツも部屋から美しく見ることができました。
音楽はようつべで聴きながら...
なんか、ある電話番号に電話したらリアルタイムで音楽が聞こえたようなのですが、私のやり方がまずかったのか、それはうまくできませんでした。
これが部屋からの写真
ということで、今回の短い香港旅行。私の最大のおみやげはこの景色です。
香港のドーン・パープル。
インターコンチは岬(土地?)の先端にあり、正面に遮蔽物がないので(向かいは香港島)、夜ブラインドを下ろさずに寝たわけですが、二日目の朝、ふと5時ごろ目が覚めた時の朝焼けです。
文字通り夜明けの紫、素晴らしい景色でした。
娘は買い物だなんだ、ほかにいろんな思い出があるのでしょうが、私にとっての今回の最高の香港の景色であり思い出となった夜明けでした。
んでもって
もっとはやくこれを書きたかったのですが、寒い大阪から防寒対策ばかりして香港に行ったら真夏でして。
帰国した後また寒く、体調管理がうまくできずに風邪ひいてしまい。
私は呼吸器官が弱く、風邪ひけば必ず肺炎の一歩手前になってしまうということで、悪戦苦闘しまして今日にいたってしまいました。チャンチャン。